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2024/07/06 09:23 |
電柱を掘り起こす人々
太平洋戦争下の人々の生活に興味があり、何冊か本を読んでいたところ気になったのが、空襲後に焼け残った電柱を掘り起こす話をいくつか散見したことである。
極端な生活物資の欠乏は、それに直面した人々のバイタリティーを呼び起こす。現在の電柱はもはやコンクリート製でなかなか盗まれるようなことも無いとは思うが、当時は木製であり、掘り起こした電柱は良質の薪として物々交換されたり、かなりの金額で取引されたという。以前参照したことのある吉村昭『東京の空襲』では、空襲後の焼け跡で電柱を掘り起こす男たちの姿が詳細に描写されている。


>>焼け跡では奇妙な作業をする男たちがいた。
>>当時の電柱は、太い樹木を適当の長さに切って乾燥させ、表面にコールタールを
>>塗って土中深く埋めこんで立てられいた。家が空襲で焼けた日の夜明け、私は避難
>>した谷中墓地から駅の跨線橋をおりた。階段の下り口かのかたわらにある電柱が半
>>ばほど焼けていて、私は寒気をおぼえ、近づいて炎をあげている電柱に手をかざし
>>た。乾燥した電柱はすべて焼きつくされ、焦げた頭部がわずかに土の表面にのぞい
>>ているだけであった。
>>その個所で、しきりに作業をしている男がいた。
>>スコップを土に突き立て、土をすくって深い穴を掘る。穴の中央には土中に埋めら
>>れた太い電柱がみえた。作業は恐らく一日仕事だったのだろう。夕方、ロープを巻
>>きつけ、地上に電柱を穴から引き出しているのを眼にした。これほど深く電柱の根
>>元が埋められていたのか、と驚いた。太く長い柱だった。
>>焼野原になった地上の、木という木はすべて灰になっていて、それは、薪にするも
>>のが皆無になったことを意味していた。
>>そうした生活の中で、土中に埋れた電柱の根元に注目した男がいたのである。それ
>>を掘り出すのを眼にしたほかの男たちも、それにならって電柱堀をはじめた。(*1)


また霞ヶ浦の航空廠は戦中軍需物資が満載されていたが、敗戦直後に付近住民の誰も彼もが盗人と化し、最終的にはなにも存在しなかった話が、佐賀純一『浅草博徒一代-アウトローが見た日本の闇』にも出ている。

>>「当たりめえよ。まさか警察に、恐れながら、と届けるわけにも行くめえぜ。とに
>>かくまた航空廠へ戻ったが、その時はもうなに一つ残っていなかった。まったくの
>>ところ、影も形もねえというのはあのことだ。倉庫の中身だけならまだしも、倉庫
>>自身がない。屋根も柱も壁も剥がされて、きれいに持って行かれちまった。電話線
>>だの電線も無い。電柱も無い。地下に埋設されていた地下ケーブルも掘り出され
>>て、きれいになくなった。いやはやこれほど無くなるとは見事なものだ。」(*2)


原爆投下後の広島でも同様の光景が見られたのだろうか。中沢啓治『はだしのゲン』でも電柱を掘り起こして薪にしているシーンが描写されていた。

denchu
(*3)


(*1)吉村昭『東京の戦争』P61-62(ちくま文庫 2005年6月)
(*2)佐賀純一『浅草博徒一代-アウトローが見た日本の闇』P364(新潮文庫 2004年8月)
(*3)中沢啓治『はだしのゲン』第13巻 P105 (電子書籍版)
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2007/09/18 00:00 | Comments(0) | TrackBack() | 雑感

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