私がこれまで生きてきた中で、猫は誠に縁遠い動物であった。物心のついたころから犬はいつも傍にいた身近な動物であったのに対し、猫はこちらに興味も見せずにノソノソとコンクリート塀の上を歩いているか、盛りのついた時のダミ声がうるさい動物でしかない。そんな猫に少々興味をもったのである。なんでも東京には猫と縁のある寺院が少なくとも二つあるのだとか。
一つは井伊家の菩提寺として知られる世田谷区豪徳寺であり、もう一つは新宿区西落合の住宅街にある自性院で、二体の地蔵尊像で知られている。
-各寺院のロケーション-
■■■(豪徳寺)
■■■(自性院)
そもそも私がこの寺院を知ったのは、購入したある一冊の著書であった。
その著書には双方の寺院が発行した二枚のお札が図版として掲げられ、それぞれの猫にまつわる由緒が述べられている。
それぞれ寺院の由緒ある猫は招福のシンボルとして、現在まで信仰の対象であり、地域のみならず各地から訪れる人々が後を絶たない。ちなみにこの二枚のお札は向かって右が豪徳寺、左が自性院のものである。特に自性院のものはものすごく欲しかったのであるが、現在は頒布されていないようである。
-豪徳寺-
招き猫の奉納が行われており、写真のように稲荷社と見紛う様相を呈している。各地の愛猫家が訪れる聖地のようなものになっているのだろうか。
-由緒の簡単なまとめ-
大老井伊直孝がかつて門前の猫に手招きされ、住職と談話中に豪雨を免れて依頼、井伊家の菩提寺になった縁なのだという。
-自性院-
地蔵が二体あり、毎年二月三日の節分にのみ開帳されるため普段は見られない。写真はおそらく由緒の新しいもののと思われ、猫の表情がまだ見える。上記に引用したお札の猫面地蔵像であると思われる写真には写っていないが、この地蔵の向かって左脇にあるものは摩滅が激しく表情も確認ができなかった。多分猫の表情とかではなかったのではないだろうか。
この日は近隣の町内会や小学生などで七福神や猫の扮装で練り歩く行列が見られ、盛大に豆まきが行われた(みかんと豆ゲット!)。
-由緒の簡単なまとめ-
①太田道灌が文明九(1477)年、江古田の合戦前夜に道に迷うが、突如現れた一匹の黒猫に誘われここ自性院にたどり着いた。この猫に感謝するため墓を造り、地蔵尊像を建立した。②詳細は定かではないが、18世紀半ばの天明年間に、貞節を称えられたある女性のために小さな石の猫面地蔵を造り、自性院の地蔵(①のことと思われる)を縁として、ここに安置された。
(9/30追記)
参考URL
■■■東京の祭り(自性院猫地蔵祭り)
■■■招き猫(Wikipedia)
参考と引用:ベルナール・フランク著 仏蘭久淳子訳『日本仏教曼荼羅』P328~330(藤原書店 2002年8月)
PR
トラックバック
トラックバックURL: