平日昼間の図書館は、どこでもおそらく居場所のない初老の方々や、資格とかの勉強をされている方が多いと思うが、今日も仕事が見つからなかった私のような輩も多分多いのではないだろうか。
いつものようにソファに寄りかかり、適当に見繕った小説などをひろげて時間をつぶしていたとき、ふと私の前に座っている老人に気がついた。日頃良く見かけた方だったが、他の来館者と比べてずいぶん年配で随分背中を丸めてヨボヨボと歩き、辞書を引きながらコツコツ書籍を読んでいたのが印象にあった。随分と熱心な読書をするお爺さんだなと思っていたのだが、かつて教育を受ける機会もあまりなかったのだろうと、ほとんど気にも止めていなかった。しかし今日私の目の前にいる老人は、その今まで見た老人とまったく同じ方ではあったが、ちらりと見た彼の顔と指はかつて進行したであろう「病」で変形していた。
私が住む所からわずかな距離に国立療養所がある。おそらく彼はかつて二度と出ることはないと覚悟したそこから、わざわざバスなどで賑やかな駅前の図書館まで来ているのだ。そして彼が「外出して読書をする」ということは、単純にバスに乗って図書館へ行くということではなく、外界と柊の垣根にさえぎられる隔離の時代はもうこないのだということへの、確認の行為であるような気がする。
「病」は患者の生地を追い肉親や恋人と生き別れさせ、業病・天刑病などと蔑まれ療養施設など存在しない時代には、巡礼などに身をやつし放浪するか、同じ病のものと起居をともにできる場所へ落ち着くしかなかった。ある時期までの皮膚科学はこの「病」とその多の皮膚病を区別するためのものであり、この「病」を発症させる菌の発見以前は重い皮膚疾患はこの「病」と診断されていた。
戦後すぐアメリカで特効薬が開発されたにもかかわらず、隔離収容、優生保護法に基づく断種などの国家犯罪ともいうべきものが続行されていたことに、どれだけこの「病」への世間の偏見がすさまじかったかを思い起こさせるに十分である。
今目の前にいるこの老人はどれだけ過酷な人生を送ってきたのであろう。後日彼がその大半を過ごしてきたであろう療養所に自転車で行ってみた。今は部外者でも道路からそのまま所内に入っていける。このあっけなく出入りができる現実はきっと入所者を戸惑わせたはずだ。もうこうなって何十年もたつはずなのに柊の垣根は心の中で、厳然として外界と自分を隔絶させている。療養所の高齢化は差別された外界の記憶が源だ。
隔離収容で入所しここで一生を終えた人間が数千人いる現実。死んだ人間は焼かれて骨になっても故郷へは帰れなかったから。
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