私はフェラチオという言葉に淫靡な響きを感じる。男性器を口で愛撫するこの行為は現代日本ではことさら問題にされなくなって久しく、性風俗産業やアダルトビデオではあたりまえの行為として大っぴらに行なわれていることは周知である。しかし現在のようにあたりまえとなった時代の前には、あたりまえでなかった時代があり、娼婦ですら滅多にしない行為であった時代が近代まで続いたという。
-あたりまえでなかった時代-
文学における性愛表現のひとつとして小谷野敦は日本におけるフェラチオに関して、「尺八」や「千鳥の曲」などがフェラチオを指す語として近世から用いられるとされているが、どれも典拠に乏しく多用されていたわけではないと考えている。また様々な書籍より、各国のフェラチオに対する語彙の貧弱さもさることながら、その行為が男性主体であると考えられることから、衛生観念の乏しい過去の時代には金銭の授受によって娼婦などが主に行なうものだったのではと見ている。次いで永井荷風の『腕くらべ』から淫乱芸者の菊千代のうっかり見ず知らずの新婚男をフェラチオし口内で射精されてしまったエピソードを引き、近代でも芸者ですら滅多にしない行為だったこと、素人女ならなおさらだと考察している。(*1)
日本の文献によるフェラチオ描写の少なさは如何ともしがたく、行為自体は認識されていたものの当時の人間がこの行為をどう感じていたのかは、今後の研究による解明を待つしかないようである。近代になるまで売春プロの行なう行為として認識されていたことは興味深い。
また野坂昭如は岩井志麻子との対談で、フェラチオを馴染みの芸者ですらしてもらえなかったことを話している。
(男性器に関する話題から・・・)
野坂:(略)娼婦を相手にするときなんかは特にそうでしたね。空よがりさせないとか昔の遊郭にはあったんですよ。いまは相手が気持ちいいかどうかなんて関係ないでしょう。の妄想を掻き立てるための仕掛けがしてあるのと、あとフェラチオとかね。昔はそういう場所で絶対にフェラチオなんてしませんでしたね。あれは進駐軍が持ってきたんです。ぼくなんか怖くて、そんなことさせられませんよ。それほど女を信用していないです。
岩井:男の人って無邪気だと思いますもん。あんな無防備な状態で噛み切られたらどうするつもりかと。
野坂:相手に悪気がなくたって、地震がきたらお終いだもんね。気の毒な話があって、緩やかな坂のところに車を停めてフェラチオをさせていたんですって。そうしたら車のサイドブレーキが外れて、車がゆっくり下がりはじめた。二人とも気付かないまま、ガチャッと。女は噛み切っちゃって、しかも気道のほうに入って窒息死。男は出血死。
岩井:そんな死に方だけはしたくないです。
野坂:「尺八」「相舐め」という言葉は昔からあったんですね。それを進駐軍たちが知って、「シャクハーチ」なんて言っていた。シックスティ・ナインなんて言い方もありましたけど、娼婦相手にそんなことできませんでした。京都の中書島の遊郭、そこにわりと馴染みの女がいたんだけど、ためしに進駐軍が言っている「シャクハーチ」なるものをやってくれと頼んだら、「きちゃない」とか言って、もの凄く怒られた(笑)。
岩井:きちゃない、ですか。私は自分がするより、されているほうが汚いと思いますね。よくもまあこんなところをと。
野坂:これも男が弱くなったことの現れですよ。そのものズバリで勝負しなくなった。ぼく自身がホストみたいな立場になって、バーのマダムとか、その類の女の情人(いろ)になったときは、本当に前戯を嫌ったね。脱がせて、さっとやるほうがありがたがられましたから。つまりお茶漬けですよ。
岩井:お茶漬けですか。今日は学ぶことが多いです。
野坂:ストレート。妙な小技は使わないで、一本スポンと決めるわけです。(*2)
また岩井志麻子もベトナム男性との情事に言及してベトナム人の貞操観念を昭和三十~四十年代の日本人のようだとしている。
(岩井志麻子のベトナム男との情事に関して・・・)
岩井:そんなことありませんよ。ベトナム女性の貞操観念というのは、昭和三十年か四十年くらいのものでして、まだ都市部でも多くの人が、「婚前交渉はものすごいふしだらなことで、特殊な女がすることである」という意識が強くあるんですね。「女はプロ以外、マグロであるべし」なんですよ。セックスに対して、それは男の快楽だけを追及するもので、女から提供されるものであると。
花村:あれ、そうじゃなかったの(笑)。すみません、ボク、三十年代で止まってます。
岩井:だから、ベトナムにおいてチンチンをくわえるという行為は、プロフェッショナルの女しかしないわけですが、私はきちんとやりました。もう彼にとってのサイゴン陥落は七五年じゃなくて二〇〇二年だったという(笑)。
花村:それでもう虜にしちゃったんだな。
岩井:彼にとっては、二〇〇二年の夏にサイゴン陥落とドイモイが一度にやってきた。くわえてもやりましたが、精液を飲んでやったことで彼はもう・・・。
花村:ケモノだと(笑)。
岩井:いえ、「すごーい、シマコもホンダ製かな」ってびっくりしてました。だから私も「そうよ、私はね、下がホンダ製で、アソコはソニーなのよ」って(笑)。もう感激というか、頭に北爆という感じだったようです。
花村:日本でチンポ汁飲んで、そこまで感謝されることはまずないからね。
岩井:確かにそうなんですが、どうして金を払っている私のほうが、こんなにサービスしているのか。
花村:それ、基本ですよ。(*3)
かつての日本ではフェラチオという行為がポピュラーでなかったこと、またするとしたならばほぼ売春プロだったという認識を持つ必要があるだろう。
-男性同士の図示されたフェラチオ-
フェラチオは男性器を口で愛撫する行為を指す。受身が男性だという点は不動だが、する方は男女関係ない。男性同士によるフェラチオの行為を図示したものは以下の二点である。
*日本最古のフェラチオ図
醍醐寺三宝院に秘蔵されているとされる『稚児之草子』「第五段」は、稚児と僧侶の「69」図が描写されていることが近世の写本により確認されるが、現段階まで三宝院はこの絵巻の存在すら公にしておらず、実物を見た者は数少ない。成立が筆写年の記される鎌倉末期(元亨元年・1322)以前となり、図示されたフェラチオとしてはこれを遡るものは確認されていないと思う。三島由紀夫はこの絵巻の実物を見た数少ない一人とされており、『禁色』にその薀蓄が描写されている。(*4)
(図は『夜想』15 特集少年 (ペヨトル工房 1985年) 堂本正樹「稚児之草子」本文紹介 P187より)
*春画におけるフェラチオ
春画論の開拓者とされる白倉敬彦によれば、フェラチオは数の少なさや性器の巨大描写から元来ないものとされてきたが幾つか描かれており、性戯のひとつとして認知されていたのは間違いないとのこと。(*5)
また近世においては男性同士によるものが一点のみ確認されており、月岡雪鼎(1710-86)の艶本(欠題)にある「穆王慈童の図」に唯一見られるようである。(*6)
いずれの著書においても男女問わずフェラチオで果てている図はなく、前戯の一環だと考察している。
(図は白倉敬彦『江戸の男色-上方・江戸の「売色風俗」の盛衰』(洋泉社新書 2005年5月)「男色の「吸茎図」を発見」P111)
-オートフェラチオ-
自分の口でするフェラチオであるが、果敢に挑戦したことのある御仁も多いはずである。かくいう少年時代の私もそのひとりで、先っぽまでは口に届くものの、くわえるまでには至らなかった。自身の体の固さと前に出っぱった腹を恨んだものである。
(山口貴由 南条範夫 『シグルイ』より ちゅぱぱぱ)
しかしまたしても野坂昭如である。
(快楽の追求に関して・・・)
野坂:ぼくもいろいろ試しましたが、やはり指に始まって、指に終わるということですね。最後は指です。
岩井:指に始まって、指に終わる。うーん、名言ですね。
野坂:いろいろ試行錯誤があるんですよ。一人フェラチオとかね(笑)。
岩井:そ、それは身体が柔らかくないとできないでしょう。
野坂:いまのところ、ぼくはまだできる。柔らかいだけじゃなくて、長さの問題もあるけれどね。でも、ちっとも面白くない(笑)。つまり、女がフェラチオを好むとしたら、やはり口の中にも性感帯があるんだろうと、そうすると快感が二倍になるんじゃないかと考えるんですよ。吉行(淳之介)さんは試して、首をおかしくしてた(笑)。「野坂に変なことを教わった」とか言って。あとオカマのことを考えた場合、肛門にも性感帯があるのだとしたら、自分のものをけつの穴に入れるといいに違いないとかね。これはどうやったってできないわけ。(*7)
野坂昭如ばかりか吉行淳之介も挑戦していたとは・・・
(*1)小谷野敦『性と愛の日本語講座』(ちくま新書 2003年6月)「口でする前戯-フェラチオ・クンニリングス」P62~
(*2)岩井志麻子『猥談』(朝日文庫 2006年8月)「猥談」野坂昭如との対談P57~59
(*3)同 「禁忌と倫理」 花村萬月との対談 P90~
(*4)『夜想』15 特集少年 (ペヨトル工房 1985年) 堂本正樹「稚児之草子」本文紹介 P167~ 堂本もこの絵巻を実見した一人だという。
(*5)白倉敬彦『江戸の春画-それはポルノだったのか』(洋泉社新書 2002年8月)
「フェラチオと肛門性交」P137~ 二点ほど図版が例示されている。
(*6)白倉敬彦『江戸の男色-上方・江戸の「売色風俗」の盛衰』(洋泉社新書 2005年5月)「男色の「吸茎図」を発見」P110~
(*7)岩井志麻子『猥談』(朝日文庫 2006年8月)「猥談」 野坂昭如との対談 P65~
文学における性愛表現のひとつとして小谷野敦は日本におけるフェラチオに関して、「尺八」や「千鳥の曲」などがフェラチオを指す語として近世から用いられるとされているが、どれも典拠に乏しく多用されていたわけではないと考えている。また様々な書籍より、各国のフェラチオに対する語彙の貧弱さもさることながら、その行為が男性主体であると考えられることから、衛生観念の乏しい過去の時代には金銭の授受によって娼婦などが主に行なうものだったのではと見ている。次いで永井荷風の『腕くらべ』から淫乱芸者の菊千代のうっかり見ず知らずの新婚男をフェラチオし口内で射精されてしまったエピソードを引き、近代でも芸者ですら滅多にしない行為だったこと、素人女ならなおさらだと考察している。(*1)
日本の文献によるフェラチオ描写の少なさは如何ともしがたく、行為自体は認識されていたものの当時の人間がこの行為をどう感じていたのかは、今後の研究による解明を待つしかないようである。近代になるまで売春プロの行なう行為として認識されていたことは興味深い。
また野坂昭如は岩井志麻子との対談で、フェラチオを馴染みの芸者ですらしてもらえなかったことを話している。
(男性器に関する話題から・・・)
野坂:(略)娼婦を相手にするときなんかは特にそうでしたね。空よがりさせないとか昔の遊郭にはあったんですよ。いまは相手が気持ちいいかどうかなんて関係ないでしょう。の妄想を掻き立てるための仕掛けがしてあるのと、あとフェラチオとかね。昔はそういう場所で絶対にフェラチオなんてしませんでしたね。あれは進駐軍が持ってきたんです。ぼくなんか怖くて、そんなことさせられませんよ。それほど女を信用していないです。
岩井:男の人って無邪気だと思いますもん。あんな無防備な状態で噛み切られたらどうするつもりかと。
野坂:相手に悪気がなくたって、地震がきたらお終いだもんね。気の毒な話があって、緩やかな坂のところに車を停めてフェラチオをさせていたんですって。そうしたら車のサイドブレーキが外れて、車がゆっくり下がりはじめた。二人とも気付かないまま、ガチャッと。女は噛み切っちゃって、しかも気道のほうに入って窒息死。男は出血死。
岩井:そんな死に方だけはしたくないです。
野坂:「尺八」「相舐め」という言葉は昔からあったんですね。それを進駐軍たちが知って、「シャクハーチ」なんて言っていた。シックスティ・ナインなんて言い方もありましたけど、娼婦相手にそんなことできませんでした。京都の中書島の遊郭、そこにわりと馴染みの女がいたんだけど、ためしに進駐軍が言っている「シャクハーチ」なるものをやってくれと頼んだら、「きちゃない」とか言って、もの凄く怒られた(笑)。
岩井:きちゃない、ですか。私は自分がするより、されているほうが汚いと思いますね。よくもまあこんなところをと。
野坂:これも男が弱くなったことの現れですよ。そのものズバリで勝負しなくなった。ぼく自身がホストみたいな立場になって、バーのマダムとか、その類の女の情人(いろ)になったときは、本当に前戯を嫌ったね。脱がせて、さっとやるほうがありがたがられましたから。つまりお茶漬けですよ。
岩井:お茶漬けですか。今日は学ぶことが多いです。
野坂:ストレート。妙な小技は使わないで、一本スポンと決めるわけです。(*2)
また岩井志麻子もベトナム男性との情事に言及してベトナム人の貞操観念を昭和三十~四十年代の日本人のようだとしている。
(岩井志麻子のベトナム男との情事に関して・・・)
岩井:そんなことありませんよ。ベトナム女性の貞操観念というのは、昭和三十年か四十年くらいのものでして、まだ都市部でも多くの人が、「婚前交渉はものすごいふしだらなことで、特殊な女がすることである」という意識が強くあるんですね。「女はプロ以外、マグロであるべし」なんですよ。セックスに対して、それは男の快楽だけを追及するもので、女から提供されるものであると。
花村:あれ、そうじゃなかったの(笑)。すみません、ボク、三十年代で止まってます。
岩井:だから、ベトナムにおいてチンチンをくわえるという行為は、プロフェッショナルの女しかしないわけですが、私はきちんとやりました。もう彼にとってのサイゴン陥落は七五年じゃなくて二〇〇二年だったという(笑)。
花村:それでもう虜にしちゃったんだな。
岩井:彼にとっては、二〇〇二年の夏にサイゴン陥落とドイモイが一度にやってきた。くわえてもやりましたが、精液を飲んでやったことで彼はもう・・・。
花村:ケモノだと(笑)。
岩井:いえ、「すごーい、シマコもホンダ製かな」ってびっくりしてました。だから私も「そうよ、私はね、下がホンダ製で、アソコはソニーなのよ」って(笑)。もう感激というか、頭に北爆という感じだったようです。
花村:日本でチンポ汁飲んで、そこまで感謝されることはまずないからね。
岩井:確かにそうなんですが、どうして金を払っている私のほうが、こんなにサービスしているのか。
花村:それ、基本ですよ。(*3)
かつての日本ではフェラチオという行為がポピュラーでなかったこと、またするとしたならばほぼ売春プロだったという認識を持つ必要があるだろう。
-男性同士の図示されたフェラチオ-
フェラチオは男性器を口で愛撫する行為を指す。受身が男性だという点は不動だが、する方は男女関係ない。男性同士によるフェラチオの行為を図示したものは以下の二点である。
*日本最古のフェラチオ図
醍醐寺三宝院に秘蔵されているとされる『稚児之草子』「第五段」は、稚児と僧侶の「69」図が描写されていることが近世の写本により確認されるが、現段階まで三宝院はこの絵巻の存在すら公にしておらず、実物を見た者は数少ない。成立が筆写年の記される鎌倉末期(元亨元年・1322)以前となり、図示されたフェラチオとしてはこれを遡るものは確認されていないと思う。三島由紀夫はこの絵巻の実物を見た数少ない一人とされており、『禁色』にその薀蓄が描写されている。(*4)
(図は『夜想』15 特集少年 (ペヨトル工房 1985年) 堂本正樹「稚児之草子」本文紹介 P187より)
*春画におけるフェラチオ
春画論の開拓者とされる白倉敬彦によれば、フェラチオは数の少なさや性器の巨大描写から元来ないものとされてきたが幾つか描かれており、性戯のひとつとして認知されていたのは間違いないとのこと。(*5)
また近世においては男性同士によるものが一点のみ確認されており、月岡雪鼎(1710-86)の艶本(欠題)にある「穆王慈童の図」に唯一見られるようである。(*6)
いずれの著書においても男女問わずフェラチオで果てている図はなく、前戯の一環だと考察している。
(図は白倉敬彦『江戸の男色-上方・江戸の「売色風俗」の盛衰』(洋泉社新書 2005年5月)「男色の「吸茎図」を発見」P111)
-オートフェラチオ-
自分の口でするフェラチオであるが、果敢に挑戦したことのある御仁も多いはずである。かくいう少年時代の私もそのひとりで、先っぽまでは口に届くものの、くわえるまでには至らなかった。自身の体の固さと前に出っぱった腹を恨んだものである。
(山口貴由 南条範夫 『シグルイ』より ちゅぱぱぱ)
しかしまたしても野坂昭如である。
(快楽の追求に関して・・・)
野坂:ぼくもいろいろ試しましたが、やはり指に始まって、指に終わるということですね。最後は指です。
岩井:指に始まって、指に終わる。うーん、名言ですね。
野坂:いろいろ試行錯誤があるんですよ。一人フェラチオとかね(笑)。
岩井:そ、それは身体が柔らかくないとできないでしょう。
野坂:いまのところ、ぼくはまだできる。柔らかいだけじゃなくて、長さの問題もあるけれどね。でも、ちっとも面白くない(笑)。つまり、女がフェラチオを好むとしたら、やはり口の中にも性感帯があるんだろうと、そうすると快感が二倍になるんじゃないかと考えるんですよ。吉行(淳之介)さんは試して、首をおかしくしてた(笑)。「野坂に変なことを教わった」とか言って。あとオカマのことを考えた場合、肛門にも性感帯があるのだとしたら、自分のものをけつの穴に入れるといいに違いないとかね。これはどうやったってできないわけ。(*7)
野坂昭如ばかりか吉行淳之介も挑戦していたとは・・・
(*1)小谷野敦『性と愛の日本語講座』(ちくま新書 2003年6月)「口でする前戯-フェラチオ・クンニリングス」P62~
(*2)岩井志麻子『猥談』(朝日文庫 2006年8月)「猥談」野坂昭如との対談P57~59
(*3)同 「禁忌と倫理」 花村萬月との対談 P90~
(*4)『夜想』15 特集少年 (ペヨトル工房 1985年) 堂本正樹「稚児之草子」本文紹介 P167~ 堂本もこの絵巻を実見した一人だという。
(*5)白倉敬彦『江戸の春画-それはポルノだったのか』(洋泉社新書 2002年8月)
「フェラチオと肛門性交」P137~ 二点ほど図版が例示されている。
(*6)白倉敬彦『江戸の男色-上方・江戸の「売色風俗」の盛衰』(洋泉社新書 2005年5月)「男色の「吸茎図」を発見」P110~
(*7)岩井志麻子『猥談』(朝日文庫 2006年8月)「猥談」 野坂昭如との対談 P65~
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