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2024/07/06 09:13 |
女性器を曝すことについての私的覚書
ハイレベルな成績を残さないと情け容赦のない体罰を行なうスパルタ学園に、正義の味方が現れる、「どこのだれかは知らないけれど、体はみんな知っている・・・」。体罰を加える「仕置き教師」に、顔を隠して体隠さずの「けっこう仮面」はヌンチャクを手になぜか全裸で挑む。必殺技は「おっぴろげジャンプ」である。


永井豪『けっこう仮面』より(おっぴろげジャンプの一例)

最終的には股間を顔に押し付けて窒息させる荒技だが、股間を見た「仕置き教師」は基本的に男性なので、一様にひるんでその技でやられてしまうのである。

いわゆる「悪」という理不尽なものに立ち向かうすべとして、「けっこう仮面」はなぜか顔をマスクで隠して、全裸で立ち向かう。とどめ必勝パターンは性器を曝して相手を粉砕する。このパターンが私の中でひっかっかていた。先日取り上げた鹿島茂と井上章一(後半は原武史も交わる)の対談中に、やはり一か所、禍に立ち向かう女性が性器を曝して立ち向かう事例が上がっている。(*1)

井上 ペリー艦隊の記録をみると、女の人が股を広げて「ほれ、ほれ、ここ、ここ」
    と、甲板の水平たちに見せびらかしたと書かれているけど、これは、成田闘争
    のときに成田のおばあさんたちが機動隊にあそこを曝したのと同じで、悪魔払
    いの呪いだったのでしょう。「ここを見よ、呪われろ」という感じで。

両者に共通する性器を曝して敵対する相手に立ち向かう部分には、なにか共鳴するものがあるのだろうか。私の数少ない知識から現在のところ考えられる点は、女性器には「相手をやっつけるパワーがあると考えられていた」のだろうとことであり、そしてこの考えは恐らく世界各地にあるということである。

一つは「マノフィカ」とよばれるものである。古くから女性器を表現するものとして、手の親指を人差し指と中指の間に入れて握りこぶしを作ることである、俗に「女握り」ともいう。

manofica

マノフィカの握りこぶし(女握り)

世界各地の民族においてこの握りこぶしは、魔除け、生殖、招福などの目的のシンボルとされた。この握り手をした大黒天が日本にはある。鎌倉から室町にかけてつくられた古いタイプの彫像に幾例か見られるようだが、本来戦の神だったパワーの源が、この右手の印相「マノフィカ=女性器」であり、後に持たされる「槌」に変化し、その「槌」に「如意宝珠」が表徴されるのは私には非常に興味深い。また女性器の形態から東洋では「桃」、西欧では「無花果」がやはり同様のイメージをもたらしている。(*2)

他には女性器が悪口として相手を罵る場合に使われるのが、世界各地で見られる話である。この場合も女性器の呼称を発音することで、相手をやっつける深層があるのではないだろうか。近しい例は忌野清志郎であろう。詳細(*3)は省くが、彼の発した「FM東京オマンコ野郎」とういのはロックの本質なんてものではなく、FM東京に対する自身の歌が放送禁止になったことに対するプリミティブな呪詛の言葉であると考えるほうがよいのではないだろうか。また「母開」という言葉は母子相姦のイメージもあるとしながら、「おまえの母親のアソコ」というとっておきの悪口として、中世日本の式目に載せられ法的規制を帯びたという。(*4)
女性器割礼の風習のある国ではクリトリスを意味する語がもっとも強烈な罵り文句であり、エジプトのイスラム教原理主義者が白人観光客を罵倒する言葉が「母親のクリトリス」で、男性に投げつけられる最悪の侮辱の言葉は「割礼を受けていない母親の息子」である。(*5)

また日本古典の女性器呼称の変遷は服藤早苗の著書によれば、時代を下るごとに漢文学作品などでは女性器名称を文字化しない傾向にあるといい(*6)、欧州などでも医学用語以外の女性器呼称が「あそこ(カント)」という語に代わるものがないことは(*5)、女性器の持つ土俗性=「相手をやっつけるパワーを秘めたもの」というイメージを包含しているからであろうか。

スサノオの悪戯に激怒し岩戸に引きこもったアマテラスを、引きずり出したものはアメノウズメの開帳パフォーマンスであった。絵巻物「陽物くらべ」などは男性器と女性器を曝した者たちのコミカルに描いた戦いだが、最終的に女性陣が圧勝する。これは円融天皇の「ふさぎ虫」を払うために作製されたものである。これらはやはり女性器の禍に対する調伏力(=「プリミティブな女性器観」)というものが意識されて成立しているとも考えられる。(*7)

最近ではインターネットというものが当たり前になり、昔は簡単に見られなかったものが拝めるようになった。ネットの進歩はポルノの閲覧機会を格段に進歩させたわけだ。だが簡単に拝めるようになった反面ありがたみが薄れてしまったのは、残念なことなのだろうか、男性の私には多少複雑な話である。だがこういった風潮が今後の女性器の民俗にどういう変化を与えていくのかは興味があるところである。


(*1)鹿島茂・井上章一『ぼくたち、Hを勉強しています』(朝日文庫 2006年8月)「Hをやる場所」P131~、該当過所はP139。ちなみに「けっこう仮面」(角川文庫 1998年4月)では「顔をかくした『けっこう仮面』」として井上章一氏が解説を担当している。今後女性器関連の氏の著書が上梓されることを私は楽しみにしている。
(*2)西岡秀雄『図説 性の神々』(実業之日本社 1979年9月)「マノフィカ印相と大黒天」P97~。秋田昌美『アナル・バロック』(青弓社 1997年4月)「ヨニの民俗」P151~。マノフィカの印相を持つ大黒天像を関西では「オメコ大黒」と呼ばれて有名なものもあるという。例えば上記西岡氏によれば東大寺三月堂の大黒天がそうであり、ネット上でも散見できる。■■■または■■■
(*3)■■■
(*4)網野善彦・石井進・笠松宏至・勝俣鎮夫『中世の罪と罰』(東京大学出版会 1983年11月)、笠松宏至「お前の母さん・・・」P1~
(*5)イェルト・ドレント『ヴァギナの文化史』(作品社 2005年5月)「「あそこ」はどう呼ばれてきたか」P35~
(*6)服藤早苗『平安朝の男と女』(中公新書 1995年4月)「性器呼称の変容」P173~
(*7)荒俣宏『性愛人類史観 エロトポリス』(集英社文庫 1998年2月)「蛸坊主は日本のポルノ王だった」P162~。ほか■■■など。

追記(2011/06/19)
最近読んだ本には礫川全次の仕事を紹介しながらいれずみの人気がある図案の中に「桃」があることを知った。
小野友道『いれずみの文化史」(河出書房新社 2010年9月)「第3話 桃のいれずみ 霊力、性そして龍」P18~


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2007/04/29 13:23 | Comments(0) | TrackBack() | 雑感

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