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2024/11/22 13:15 |
女性の立小便に関してあれこれ
私が小学生の頃、1980年代前半の話である。毎年お盆の時期には母親の実家へ帰省していた。福島県の浜通りにある宮城県にも程近い、田園風景が広がるきれいな所だった。滞在中は毎日のように用水路でフナ釣りや、海に近い排水路でハゼ釣りにいそしんでいた。海も近く、人がほとんどいない砂浜で、いとこたちと遊んだものだった。
そんな幼少期の夏休みの一日、私は想像を絶する光景を目の当たりにした。
父親の運転する車で海水浴からの帰宅途中、前方の道端に老女がじっと立っている。周囲は田んぼしかない、電柱すらない。私はただ休んでいるんだろうと思っていた。しかしよく考えると直射日光の照りつける真夏の昼間の田舎道、木陰も何もないそこで休んでいるのはどうしてだろう。いろいろ考えているうちにすれちがった瞬間、着ているものの前をたくし上げて男性のように前に突き出し、用を足しているのだということを悟った。

女性も立小便ができることを知った淡い記憶である。

大人になって自分でいろいろ調べることが可能となり、実は女性の立小便は珍しくないものだと知ることになる。しかも用の足し方にはスタンダードな姿勢があり、東京都心部でも昭和30年代には見られた行為だということに愕然とした。世界的にも女性の立小便は珍しくなく、東京オリンピックの際に外国人の女性選手用に立小便器が作られたこと(*1)もあり、(この場合は競技服との兼ね合いでつくられた便器のようである)俄然私の知らない世界が目の前に広がっていくのであった。あの暑かった夏のカルチャーショックから二十数年、私は自身の女性の立小便観に一つ決着をつけようと思う。


-女性の立小便に関して-

そもそも男女を問わず立小便自体に寛容だった日本人、路上でのところかまわずの立小便に閉口したのは、開港後の幕末横浜に上陸した外国人船員と、敗戦後東京に進駐してきた連合軍兵士だった。いずれの場合も警察と連動し取締りとなる。

前者の場合明治四年の横浜の警官の主な任務は放尿取り締まりだったという(*2)。

日本において女性が立って用を足さなくなるのは、いつ頃のことなのかという興味深い疑問がある。これにひとつの回答を与えた者が井上章一氏であろう(*3)。いわく近代女性の羞恥心が徐々に変化していく経緯を書いている。パンツをはかなかった女性たちがパンツをはき、銭湯やトイレが男女別れていなかった時代から、男女別になっていくのが当たり前になっていく戦後の流れの中で、女性の立小便は廃れていったのだという。

その著書の中では20世紀中葉の立小便する大胆な女性たちの姿を、他の文学作品などから自身の目撃談も交えながらいくつか例示している。農村であれ、都会の真ん中であれ、着物の裾をまくって放尿する女性たち。そしてそれらは明治大正の頃は東京でも見られていた光景であり、公衆便所でも男女別ではなく並んで一緒に放尿する姿が、昭和初期でもあたりまえだったという事実。便器が個別に設置されていない「壁と溝」だけのアンモニア臭がきつい古い「小用」トイレが、そのかろうじての名残なのかもしれない。

それすら見られることはまったくなくなったが。


-トイレに関して-

女性の立小便が見られなくなった遠因の一つにトイレの使い方が変化したこともあると思う。トイレが大小の別から男女の別になっていくのは、戦後の学校の男女共学開始という空間がまずそうであろう。中野美代子が北大に入学した1952年には女性用トイレはなかったという(*4)。ほかの学校も推して知るべしだろう。

また「職場」というかつては男の世界だった空間では、高度経済成長期をはるかに過ぎた1980年以降の現象だと思われる。とにかく職場への女性進出が目立ち始めて以降のことだろう。私が以前ご縁のあった新宿にある雑居ビルはいずれも、1960年代の建物であったが、トイレは男女共用でひとつだけであった。それだけで求人の応募に来た女性が帰ってしまうぐらいだったし、新宿駅前の三平酒寮(2F)もそうだった(多分今もそうだ)。あそこは今も昔もおじさんサラリーマンのオアシスだからだ。

またこれとは別に高度経済成長期以降の農地の宅地化・都市化及び、下水道の普及はこのトイレの「大小」別の終焉をもたらしたと考える。本来トイレの「大小」別には理由があってのことだった。それは水洗トイレ以前は人の排泄物は溜めて肥料用として重宝されていたが、大小入り混じったものは優秀な肥料とならず、その絶妙な配合が肝心なのだという。故にトイレは男女別ではなく「大小」別だったという観点があることも押えておきたい(*5)。上記の「壁と溝」の「小」トイレはこの用途を意識してのものだと思う。農村から都市への急激な変貌は人糞肥料の需要をなくした。


-放尿姿勢について-

上記井上氏の書籍で例示された女性は皆一様にお尻を外に向けて放尿している。この姿勢についてはワールドワイドであったと思われ、クロアチア・セルビア・南スラヴの女性たちがこのスタイルであり、平安以来の女性の排尿姿勢がこれであったという。曲亭馬琴が京都で実見した娘はこのスタイルでおこなっており(*6)、いわばスタンダードな姿勢だったとのことである。またヘロドトスによれば古代エジプトの女性は立ち姿だったらしいが、姿勢ははっきりしていないようである(*5)。かつて男女同権の思考が嫌いだったという吉行淳之介氏は、「男と同じように立小便をしようとする」という言葉で、フェミニズムを揶揄したらしいが(*3)、私が見た老婆は佇立して背筋を伸ばし股間を前方に出した、まさに男性スタイルである。私が見たものにじつは「ティンコ」がついていたんじゃないのかと言われそうだが、ババァであったのは間違いないのである。


-立小便という言葉について-

井上氏はまた別の著書で立小便のことばについて語る、「立小便」は本来女性の屋外での排尿姿勢を指すものだと(*7)。男性は屋内で立ったまましても「立小便」とは言わず、現在では野外でのそれを指していることは言わずもがなである。しかし男性の場合外でも内でも排尿のスタイル自体は変わらず、あえて「立小便」と表現する必要は本来生じないはずである。

かつての女性たちも屋内では座ってするほうが、女らしいつつしみある所作だと考えられていた。しかし屋外で用を足す場合女性の場合は、しゃがむとお尻や陰部が丸出しになってしまう。衆目の眼前ではそれを避けるために腰部を着物で包ませたまま、
排尿に及ぶ必要があり、それには立って済ますほうが道理にかなう。ゆえに着物の裾をまくり壁に向けてお尻を突き出すスタイルになった。

時代は移り女性の立小便が徐々に消えていき言葉だけが残ったとき、男性の屋外での排尿行為を指す言葉になったと。


ネットでの検索結果あれこれ
■■■
■■■
■■■(新潟での目撃談。なんか途中から話がスケベな方向へ)
■■■("カラスのおじさん"年の功かよく知ってます)

(*1)■■■/■■■/■■■
    企業側も女性立小便ニーズを踏まえていたらしい記述が興味深い。
   「サニスタンド」という名称でTOTOが発売していたらしいが、
    立ちションの習慣が廃れひっそり消えていったという。
(*2)李家正文『図説 厠まんだら』(INA BOOKLET Vol.4,No.1 1984年5月)
   「トイレットの生活文化[日本篇]-かわやの誕生から21世紀まで」P52~
(*3)井上章一『パンツが見える-羞恥心の現代史』(朝日選書 2002年5月)
   「パンツをはかなかったころの女たち」P44~
(*4)中野美代子『中国の青い鳥-シノロジー雑草譜』(平凡社ライブラリー 1994年12月)
   「北大女子はばかり史余話」P318~
(*5)有田正光・石村多門『ウンコに学べ!』(ちくま新書 2001年10月)
   「ウンコに学ぶ環境倫理」P129~
(*6)桐生操『やんごとなき姫君たちのトイレ』(角川文庫 1995年11月)
   「たおやかなり京女の立ちション」P55~
(*7)井上章一&関西性欲研究会『性の用語集』(講談社現代新書 2004年12月)
   「立小便」(井上章一)P159~
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2007/04/20 16:17 | Comments(1) | TrackBack() | 雑感

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コメント

欧州に立位小便用具を使用するネットワークがあります。
http://www.p-mate.com

また、身体的特徴により立位での小用ができない男性もおられます。
日本には便器がありませんが、P-MATEにより立位による小用が行えます。
posted by P-MATE URL at 2011/02/14 07:17 [ コメントを修正する ]

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