まんが家である吾妻ひでおが、かつて失踪中にゴミ捨て場から拾ってきた天ぷら油を
食後のデザートで飲んでいるシーンがある。まだ失踪してホームレスになってから日も浅かった。自殺できなかった彼は野生の大根を収穫し、ホームレスの食料を盗みシケモクを拾い、腐った毛布に包まって寒さをしのいでいた。そのような状況で発見されたのが天ぷら油だったのである。(*1)
食後のデザートで飲んでいるシーンがある。まだ失踪してホームレスになってから日も浅かった。自殺できなかった彼は野生の大根を収穫し、ホームレスの食料を盗みシケモクを拾い、腐った毛布に包まって寒さをしのいでいた。そのような状況で発見されたのが天ぷら油だったのである。(*1)
後に出版された著にて彼は、その天ぷら油の感想を述べている。
(聞き手)天ぷら油については・・・
(吾 妻)あれはねー、スンゲーおいしかったよね(笑)。
(聞き手)一般的には胸がむかつく感じになるんじゃないかと思うんですが。
(吾 妻)そうだよね。もう相当使い古した油だったから。色も茶色くなっている。
それを胸焼けもせず、キュッキュッと。うまいーって(笑)。
(聞き手)野宿で油っけがまったくないから身体全体が欲しがっていたんでしょうか。
(吾 妻)そうだろうね。最初に寝ていた草薮に草刈の人が来たんだよね(後略)(*2)
その後たくましいまでのサバイバルの才能を発揮し、描けなくなったまんが家が、とうとうネタとして一冊のベストセラーを上梓するとは、なんという運命の皮肉だろうか。ともかく食料的に貧弱な状況下では、使い古した天ぷら油でさえ美味いというのはまぎれもない事実なのだろう。
しかしこんな話を持ち出してきたのはいささか思うところがあったからである。
それは
「脂が十分に食べられない地域では、脂が嗜好品になるのではないかと思われる」
と書かれた一文であった。
コンゴ民主共和国のピグミーは嗜好品として「ゾウの脂」を味わうのだそうである。
本来ピグミーはほとんど油を口にすることはないそうである。野生動物の肉にはほとんど脂が含まれず、例外的に脂を大量に含むのはゾウなのだという。ゾウを食べに行くというと真っ先に肉が思い浮かぶものの、「マフタミンギ(スワヒリ語で、脂がいっぱい、という意味)なのでうまい」という言い方をするようで、どうやら肉はおまけ、脂をまっさきに食べるのだという。(*3)
吾妻ひでおの埼玉県入間市におけるホームレスでの極限状況下とアフリカコンゴ共和国のピグミーの味覚が、食生活上で同じ感覚を味わっているのはおもしろい話である。誠に人類みな兄弟なのかもしれない。そういえばダイエットに敏感な日本女性も、傍らでは脂っこいもの大好きだし。。。
「油・脂はうまいのである。」
そこでさらに気になってしまったのが、中野美代子の著書に紹介されている、宋代の荘綽の『鶏肋編』における
子供の肉は「和骨爛」(骨ごとよく煮える)、
女の肉は「不羹羊」(羊よりうまい)、
男の肉は「饒把火」(たいまつよりまし)
である。(*4)
わざわざ女の肉が「羊よりうまい」とされたのは、やはり脂(体脂肪)が赤子や男よりも多いからだろうか。
追記(2007/04/18)
宋代は豚肉は羊肉よりも劣るものとして蔑まれていたという。それは北方遊牧民族匈奴や契丹の南下による食文化の影響とされる。故に値段が安く人々の人気もなく、
豚の腸詰は猫の餌として用いられてもいた。(*5)
上記の「羊よりうまい」という比較は、人肉一般が「両脚羊」(二本足の羊)という隠語で呼ばれた(『鶏肋編』による)時代、豚が肉の主役になかった時代だからに違いない。ゆえに豚のほうが脂が多くとも、美味いものの代表にはなりえない社会背景を考える必要があると思う。
(*1)吾妻ひでお『失踪日記』(イースト・プレス 2005年3月)
「夜を歩く」P16~18
(*2)吾妻ひでお『逃亡日記』(日本文芸社 2007年1月)
「失踪時代」P21~22
(*3)高田公理・栗田靖之・CDI編『嗜好品の文化人類学』
(講談社選書メチエ 2004年4月)
澤田昌人「コンゴ民主共和国ピグミーの嗜好品
-ハチミツをむさぼり、ゾウの脂を味わう」P182~
(*4)中野美代子『カニバリズム論』(福武文庫 1987年7月)
「カニバリズム論-その文学的系譜」P34~
(*5)張競『中華料理の文化史』(ちくま新書 1997年9月)
「羊肉vs.豚肉-宋代」P138~
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