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2024/11/23 00:47 |
暫く!
danjuro
浅草寺の観音堂裏手に劇聖と言われた九代目市川團十郎の像がある。演目「暫」の鎌倉権五郎景政の荒ぶる舞台姿である。

  罪のない善男善女が悪人に捕らえられ、まさに皆殺しにされようとする
  危機一髪の時に、「しばらく~」と大声をかけて現れた主人公が超人的な力で
  荒れて救う物語。江戸時代、江戸の顔見世狂言<かおみせきょうげん>に入れる
  約束になっていた局面を独立させたもの。現行の台本は、明治28年(1895)に
  九代目團十郎が演じた時のものが固定した。公家姿の悪人の役(ウケ)は
  清原武衛<たけひら>、主人公の役名は、鎌倉権五郎景政<かまくらごんごろう
  かげまさ>になっている。 ■■■

現在ある写真の像は1986(昭和61)年、十二代目團十郎の襲名時に再建された二代目の像であり浅草寺病院の南側にあるが、本来の像は三社明神の拝殿左手にあったといい、これは太平洋戦争における金属供出で失われたという。

さて浅草寺の観音堂裏手に團十郎像が造られたのは1919(大正8)年、「劇聖」は16年前にすでに鬼籍にある。この像にはあるエピソードがあった。1923(大正12)年9月1日の正午に、後に関東大震災と言われる大地震が発生、折から台風の影響もあり強風による大火災も起こり、東京は壊滅的な被害を被ることとなる。

だがこの時、浅草寺は幸いにも焼失を免れた。人々が噂したのは浅草寺の團十郎の舞台姿の像が、吉原方面からくる火の手を押しとどめたという。

「暫く~、暫く~!」

火の手を押しとどめる團十郎カコイイ!!

舞台姿の團十郎が忍び寄る火の手から観音様を荒ぶり救う姿を見たて、人々は浅草寺が幸いにも焼けなかったことを本当に喜んだのだろう。團十郎像が吉原を背に南を向いて立っているなんてのは野暮な話なのである。

しかし先にも書いたとおり太平洋戦争では供出の憂き目に会う。溶かされて兵器になってしまったのであろう、これも野暮な話である。残念なことに浅草寺も1945(昭和20)年3月の東京大空襲で灰燼に期してしまう。團十郎像が荒ぶり、焼夷弾から浅草寺を守ることはなかった。

(参考)
エドワード・サイデンスデッカー『東京 下町山の手』P21~22(ちくま学芸文庫 1992年12月)
■■■
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2009/01/29 22:52 | Comments(0) | TrackBack() | 雑感

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