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2024/04/30 01:24 |
井伏鱒二がガンダムファンであること
先日某大規模古書チェーン店(B○○K○FF 伏字になってないw)にて『井伏鱒二対談集』(新潮文庫 1996年8月)を購入した。帰宅してなんとはなしに読み始め、ウィキペディアにて井伏鱒二の略歴でも確かめようと、検索をかけてみたのだった。
その「井伏鱒二」のページを読み進めていると、「機動戦士ガンダムのファンであった」とある。逆に「機動戦士ガンダム」もウィキペディアで確認すると、関連項目として「井伏鱒二」が挙げられている。これは一体どういうことなのだろうか。頭の中が混乱している。
  
そもそも井伏鱒二が機動戦士ガンダムのファンであってもなんら問題はないのだが、やっぱり脈絡がないものが関係があるということになると、気になって仕方がないのである。この記述に触発されたのかどうかは定かではないが、Yahooでこの二つのワードを検索したところ、ネタ元の類は一切見つからなかったにもかかわらず、
  
  確か目の前に飛び出してきた猫が素早く逃げていった時、
  井伏が「は、速い、シャアか?」と呟いたのが原因だそうです。

というコメントが載っていたBlogを発見(■■■)。モーニング娘。を知っていることになっている一連の文章はよくできているとは思うものの、大文豪と大人気コンテンツとの接点はなんら発見できなかったのであった。

この「井伏鱒二はガンダムファン」というネタは、はたして当時の井伏鱒二を知る人間たちにとっては周知の事実であって、作家仲間にとっては「井伏さん鍋かぶって、またシャアの真似ですか?」なんていう軽口とかがあたりまえのように、当時80歳を越えた大文豪の主宰する20数年前の酒宴とかで、繰り広げられたのだろうか。
 
気になったので2ちゃんねるの文学板にも行ってみた(■■■)。井伏ファンの皆様が地味に話題をこさえつつ更新はなされている。しかしここでも気になるネタ元の収穫はなかった。ただ、やはり井伏鱒二のウィキペディア記述に関心を持った者はいたと思われる。

  253 名前: 吾輩は名無しである [sage] 投稿日: 2006/07/21(金) 18:21:14
  そんなことより↓の余談が本当かどうかいますぐ調査せよ!
  http://ja.wikipedia.org/wiki/井伏鱒二
 
  254 名前: 吾輩は名無しである [sage] 投稿日: 2006/07/22(土) 02:59:36
  >>253
  「噂」って、どこから出た噂だろうなw

この井伏鱒二のウィキペディア解説が語っている「余談」や「噂」っぽい話はガンダムのことだけかと考えられ、253と254はこのネタ元に対するレスポンスを期待して、ここに書き込んだのだろうが、ここの住人にはガンダムなどどうでもいいのか、この後猪瀬直樹らが空気を読めずに出版したとされる、『黒い雨』などの剽窃疑惑のほうに興味があるようなのであった。

考えられる接点は、井伏鱒二とガンダムシリーズの元締めであるサンライズ(富野喜幸(現 富野由悠季) が杉並区を拠点としていることだけである。言うまでもなく井伏鱒二といえば「荻窪・阿佐ヶ谷」であり、サンライズは「上井草・井荻・下井草」である。しかしこの杉並区接点予想もなんらわからないのが現状である。名誉区民か?とも思ったが、杉並区の名誉区民1号は小柴昌俊東京大名誉教授 (ノーベル物理学賞受賞)らしいので、つい最近できたもののようである。残念であるが、ガンダムファンを示す一次史料になるようなものは当然ながら手にはいるわけでもなく、今のところ確かめる術はない。またウィキペディア自体の記述の変遷も追っているわけでもない。しかしこんなに根拠のない気になる記事を書くとは、このウィキペディアの記事を編集した人間はまことに罪であるといわざるを得ない。気になって仕方がないので、今後も調査をしていこうかと思う。結果が出るようだったらまた書きたい。

ちなみに井伏鱒二の生没年月日と、彼が見た可能性のあるガンダムの作品一連は、主なもので以下のようになる(出典すべてウィキペディア)。

明治31(1898)年 2月15日 井伏鱒二誕生、福山市加茂町生まれ
昭和54(1979)年 4月 7日 機動戦士ガンダム TV放送開始(井伏81歳)
昭和54(1979)年 5月 - 昭和55(1980)年 2月 機動戦士ガンダム 冒険王コミック文庫(秋田書店の雑誌「冒険王」付録)にて連載
昭和55(1980)年 1月26日 機動戦士ガンダム 放送終了(井伏82歳)
昭和56(1981)年 3月14日 機動戦士ガンダム 劇場公開(井伏83歳)
昭和56(1981)年 7月11日 機動戦士ガンダムII 哀・戦士篇 劇場公開
昭和57(1982)年 3月13日 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙篇 劇場公開
(井伏84歳)
昭和59(1984)年11月号 - 昭和60(1985)年 2月号「コミックボンボン」(講談社)にて MS戦記 機動戦士ガンダム0079 外伝連載(井伏86歳)
昭和60(1985)年 3月 2日 機動戦士Ζガンダム 放送開始(井伏87歳)
昭和61(1986)年 2月22日 機動戦士Ζガンダム 放送終了(井伏88歳)
昭和61(1986)年 3月 1日 機動戦士ガンダムΖΖ 放送開始
昭和62(1987)年 1月31日 機動戦士ガンダムΖΖ 放送終了(井伏89歳)
昭和62(1987)年 4月号 – 平成3(1991)年12月号 角川書店 月刊アニメ雑誌 『ニュータイプ』において ガイア・ギア 掲載
昭和62(1987)年 9月号 - 平成2(1990)年7月号 大日本絵画発行の月刊模型雑誌
「モデルグラフィックス」誌上で連載
昭和63(1988)年 - 平成4(1992)年まで アウターガンダム サイバーコミックに
連載(井伏90歳
昭和63(1988)年 サイバーコミックス1号(バンダイ)にて あしたのガンダム 掲載(島本和彦)
昭和63(1988)年 3月12日 機動戦士ガンダム 逆襲のシャア 劇場公開
昭和63(1988)年10月 機動戦士ガンダム ジオンの再興 角川書店 ニュータイプ
100%コミックス 角川コミックス・エース
平成元(1989)年 機動戦士ガンダム0080 ポケットの中の戦争 OVA制作(井伏91歳)
平成元(1989)年から平成2(1990)年 機動戦士ガンダム 閃光のハサウェイ 角川スニーカー文庫より全3巻の文庫が刊行
平成3(1991)年 3月16日 機動戦士ガンダムF91 劇場公開(井伏92歳)
平成4(1992)年 4月12日から10月 4日まで 文化放送にて ガイア・ギア 全26話が
放送される(井伏94歳)
平成5(1993)年 2月 - 平成6(1994)年 8月 機動戦士ガンダム ムーンクライシス MS SAGAに連載(井伏95歳)
平成5(1993)年 4月 2日 機動戦士Vガンダム 放送開始
平成5(1993)年 7月10日 井伏鱒二没 享年95歳
平成6(1994)年 3月25日 機動戦士Vガンダム 放送終了


追記(2007/04/24)

先ほど久しぶりにウィキペディアの井伏鱒二解説を見ていたら、
以下のようなガンダムに関する記述が追加されていた。


-ウィキペディア「井伏鱒二」より引用-

  井伏鱒二とガンダム

   もともと、ガンダムシリーズの製作者である富野由悠季は、
  井伏の「黒い雨」に影響を受けていた。それが、既存のアニメとは一線を画す、
  ガンダムシリーズでのリアルな戦争描写の参考のひとつとなる(現に、機動戦士
  ガンダムZZで、マシュマー・セロのコロニー落としによってダブリンに黒い雨が
  降り注ぎ、ジュドー・アーシタがそれに打たれながら「黒い・・・雨が・・・」と
  呟くシーンがある)。その後、事情を知った井伏もガンダムを鑑賞し、感銘を
  受け大ファンになった、という経緯がある。


しかしいつも思うのだが明確な出典がないのは誠に残念である。加筆する人間は検証可能な典拠を書けと声を大にして言いたい。この経緯は現段階で検証できないので不確かだとしかいえない情報である。私も図書館などで井伏鱒二全集やエピソードなどを事あるごとに、開いてみてはいるもののこれに関する情報は依然管見に入っていない。井伏鱒二はガンダムのことを文章には残しておらず、富野由悠季の証言等を示す媒体もいまだ得られていないので、どうやっても上記の経緯説明を鵜呑みにはできないのである。しかも記述の雰囲気はかつて両者の対談等が設定され、富野に言った井伏の社交辞令っぽくも思える、あくまで私の想像だが。

追記(2010/05/27)
今月初め(5/4)にWikipediaにおける井伏鱒二のページからガンダムのくだりが削除された。今後復活はあるのだろうか?また検証できる媒体の存在は指摘されるのだろうか?引き続き経過観察。
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2007/02/09 15:07 | Comments(0) | TrackBack() | 雑感

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